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【要約】スマート・インクルージョンという発想 IoT/AI×障害者が日本の未来を創る! 著者 竹村和浩

スマート・インクルージョンという発想
IoT/AI×障害者が日本の未来を創る!

スマート・インクルージョンという発想 IoT/AI×障害者が日本の未来を創る! (NextPublishing)

著者
竹村和浩

 
 
要約
 

インクルージョン」という言葉をご存じだろうか?日本語では「(社会的)包摂」などと訳され、主に、障害のある子供を含むすべての子供たちが、それぞれ適切な教育を受けつつ通常学級で共に学ぶという「インクルーシブ教育」の文脈で登場し、徐々に浸透しつつある言葉だ。その本質は、「障害も一つの個性」「一人ひとりの多様性の尊重」という考え方にあり、ダイバーシティに代わる言葉としてアメリカの人事・HR領域でも使われ始めているという。
本書では、そうしたインクルージョンの思想を紹介しながら、「スマート・インクルージョン」という新たなコンセプトを解説する。それは、障害者の視点からのIoT/AI(人工知能)開発によって、誰もが安心・安全に暮せる社会と、成長産業における日本の経済成長の両者を実現するという壮大な構想だ。その象徴的な取り組みとして、2020年の東京五輪で日本のインクルージョン技術・取り組みをアピールするという提言もなされている。

著者は英語のプロコーチとして活躍する傍ら、元Google米国本社副社長・村上憲郎氏とともに「スマート・インクルージョン研究会」を設立、自身も障害を持つ子の親として、誰もが安心・安全に暮らせる社会の実現に尽力。障害者支援といった分野だけでなく、IoTなどのテクノロジーの可能性、精神的豊かさと経済的豊かさの両立など、未来の社会のデザインについて、大きな気づきが得られる一冊としてぜひご一読いただきたい。

要約

インクルージョンとは何か

今から3年前、リオデジャネイロでの東京オリンピック招致の最終プレゼンを観ながら、私の頭の中に、ある発想が浮かんだ。それは、「障害者の視点から東京オリンピックパラリンピック選手村全体を、日本の最先端の技術でスマート化してはどうだろうか」という、「スマート・インクルージョン」という発想だ。

私の本業は、企業や大学でのビジネス英語・発音矯正・日本文化などの研修を提供する英語のプロコーチという仕事だ。一英語講師の私がこの本を書くきっかけとなったのは、ほかでもない、ダウン症を持って生まれてきた下の娘の存在である。

日本は今、大きな転換点にある。かつての経済的な優位性が失われ、将来への悲観論が社会を覆っている。障害者への理解も進まぬまま、障害を持たない人たちにとっても、次第に生きにくい世の中になる不安があるように感じる。

だが、このような状態の日本にとって“経済的な発展の最後のチャンス”とも言える可能性、そして、障害があってもなくても自分らしさを失わずに、物心ともに豊かな暮らしができるチャンスと可能性が、今まさに目の前にある。

インクルージョン」(inclusion)あるいは、「インクルーシブ」(inclucive)という言葉は、1980年代に、アメリカでの障害児教育の分野で新たに注目された理念で、それまでの「統合教育」(健常児と障害児を区別した上で、同じ場所で教育すること)を超える考えとして普及してきたものだ。

インクルージョンは、日本語では「包括・包含・包摂」と訳され、日本では主として、障害を持つ子供たちが通常学級で共に学ぶ、「インクルーシブ教育」(障害のある子供を含むすべての子供に対し、個々のニーズにあった適切な教育的支援を“通常の学級”で行う教育)の考え方を指して使われている。

この考え方は、「本来、人間は障害児、健常児ともに同じ社会で暮らしており、教育もそのようにあるべきである。障害は個性の一つである」という思想に基づいて生まれた。つまり、「障害児も健常児も、もともと社会全体の中に含まれて(includeされて)いる」という考え方であり、その本質は「一人ひとりの多様性を包含するプロセス」を大切にすることにある。

東京五輪で「インクルーシブ・スマート」を日本から世界に

障害のある娘を授かってから長い年月を経た今、心から「その通りだ」と実感している言葉がある。それは、ドイツの哲学者ハイデッガーの「存在が世界を与える」という言葉だ。障害を持つ人、とりわけ知的障害を持つ人たちが社会で経済生産性を持つことは難しいことだが、重要なのは「経済生産性だけが、人の価値を決めるものではない」ということだ。無論、経済生産性は必要なことだが、それだけが世の中の生存の基準であってはならないのだ。

仏教の中にも、「世の中に存在するもので、不必要なものは何一つない」という言葉がある。この考え方も、ハイデッガー同様「どのような存在であっても、それぞれが世の中で果たすべき大切な役割がある」ということを教えてくれている。

とりわけ、障害を持って生まれてくる子供たちは、とても大きな役割を持っていると、私は強く感じるようになった。それは、「私たちの社会のあるべき姿を指し示す」という役割だ。今、日本も世界も、決してすべてが豊かで充足された社会ではない。だからこそ、その厳しい世の中を生きられない人を排除するのではなく、様々な障害を抱えた人たちも暮らしやすい社会を目指すべきだ。

とはいえ、知的障害者を取り囲む社会の壁はいまだ大きく、障害を持つ人たちの存在価値を理解してもらい、障害者にとって理想の社会を実現するには、多くの課題が残されている。そこで私は、「2020年に東京オリパラが終わった後、選手村跡地をIT、ICTの技術で、障害者の視点からのスマート・ハウス、スマート・コミュニティのモデル地区にしよう」という構想を実現すべく「スマート・インクルージョン研究会」を発足した。

その狙いは大きく次の2つだ。まず、スマート化(社会の自動化)こそが、世界の次世代成長産業の本命であり、おそらく日本が経済成長するラストチャンスであること。しかも、障害者の最大の悩みである、親亡き後を託せるのは、この社会の自動化の力が大きな助けとなる。2つ目は、障害者の視点からの技術開発が、日本のIoTと、AI技術の向上に大きく役立つということである。

1980年代に、障害の定義についての大きな転換がなされた。それは「障害は、その人本人にあるのではなく、“障害のある人を受け入れられない社会の仕組み”にある」というものだ。いわゆる、「医療モデル」から「社会モデル」への障害の定義の転換である。

2014年に日本も批准した、UNCRPD(国連障害者人権条約)は、まさにこの考え方に基づいている。社会の側にある障害、障壁をなくし、障害を持つ人々が安心して暮らせる安全な街・社会。その基盤となるのが「スマート・インクルージョン」であり、それを実現し、「日本の先端技術のショールーム」として世界にアピールする絶好のチャンスが、2020年の東京オリンピックパラリンピックなのだ。

こうした技術を「インクルーシブ・スマート技術」(障害者を社会に包摂するためのIT技術)と呼びたい。この技術の研究・開発への取り組みが、日本を経済的により豊かな国にし、ひいては障害のある人たちを、ITの力によって多くの人の負担なく「包摂」できる、物心ともに豊かで優しい日本社会の再構築につながっていくのだ。

「IoT/AI×障害者」が日本の未来を創る

IoT、AI、ロボットの応用分野といえば、すぐに介護現場が思い浮かび、実際、多くの投資も既に行われている。私たちも高齢化すれば、徐々に目が不自由になり、耳も遠くなり、また、判断力や記憶力も衰える。だが実は、それらを障害と言い換えれば、それぞれの障害を既に抱え、不自由を抱えながら社会を生きている人たちが、既にたくさんいる。障害を抱えて生きる人たちの視点は、まさに、「高齢者のいわば先輩」である、と言えるのだ。

一見、障害とテクノロジーのつながりを連想することは難しいが、商品開発においては、この障害者の視点こそが重要な役割を果たすことが、日本以外では既に知られている。例えば、日本でも人気のスウェーデン生まれの雑貨家具店「IKEA」。その美しくかつ安価な商品は、元をたどれば、スウェーデンの障害者施策から来ているといわれている。

1969年にスウェーデンが世界に先駆けて障害者法を制定し、IKEAの商品開発においても、ユニバーサルデザイン(全ての人が使いやすいデザイン)を取り入れることにより、障害者にとっても使いやすい商品であるかが検討されるようになった。その結果、シンプルかつ美しいデザインが生まれたのだ。

欧米、とりわけ北欧では、産官学の共同でラボ(研究所)を設置し、商品開発の際に「障害者の使い勝手を調査してその知見を活かす試み」が、既に20年前から実施されてきている。日本でも同様の取り組みを、今度はIoT、AI、インダストリー 4.0の分野で世界に先駆けて実現する、というのが「インクルーシブ・スマート技術」という考え方なのだ。

広い意味で言えば、この世の中で障害を持っていない人は存在しない。人それぞれ、何らか不得意な分野を持っており、障害とは、それが単に他の人よりも飛びぬけているというだけだ。であれば、その極端な事例に焦点を合わせることが、よりよい技術や商品の開発につながり、万人にとって便利なものになる。「エクストリーム(極端な)シナリオは、人間工学の限界を試す」ということなのだ。

日本に欠けている「社会デザイン」という視点

IoTとAIの技術開発においては、社会全体を見据えた「俯瞰図的」な発想が不可欠だ。だが、この社会デザイン、すなわちどのような社会を未来に創り上げるのか?という「社会と世界をデザインする視点」とも言える視点が、日本の企業はかなり弱い。

その点、「障害者の視点」は、実は既にしてこの「社会デザインの視点」を含んだ考え方だ。そこでは、知的障害という視点から見れば、「居住の自動化=スマート・ハウス」「移動の自動化=位置情報による移動支援システム」という2つの要素が重要になってくる。

これら2つの要素が合わさる時、障害者、とりわけ知的障害を持つ人たちが、安心・安全に社会生活を営む社会基盤を形成することが可能になる。そして、この組み合わせは、そのまま、スマート・コミュニティとしての都市づくりへと発展させることができるのだ。

移動の支援には当然、車による自動運転が含まれることになるが、大切なのは、それらすべてが一つの個人デバイスによって連携する、統合されたシステムでなければならないということだ。こうした発想は、「仮に知的障害を持つ人が社会生活を営む際には、どのようなシステム、仕組みが存在すれば、自立した生活ができるのか?」という問いから生まれる。

もし日本が、「障害者の視点」からの社会デザインに取り組むことができたなら、世界でも最も質の高い、かつその使いやすさによりグローバルにスケールする日本のIoT/AI技術をもって、次なる経済成長をすることが可能になる。

どんな障害を持っても、またどんな状況の人でも受け入れられ、安心・安全に暮らせる未来。私たちの社会を、思いやりの心という「光」で照らしてくれる障害のある人たちを、私たちは守り続けなければならない。そのために必要な発想と行動理念こそが「スマート・インクルージョン」なのだ。

 

 

 

 

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