19 世紀から 20 世紀はじめに書かれた孤児少女小説
書 名 発行年 孤児になった年齢と状況 母・父
アルプスの少女 ハイジ
1881 生後すぐ父死亡 母もショックで発 病、2-3 週後死亡 祖母・伯母の元へ 5 才山小屋の祖 父の元へ。8 才伯母の意向で裕福な 家へ。その後祖父の元へ ×・×<注1>
1893 12 才で父死亡 母親とインドから フランスへ 母死亡(13 才)祖父 の元へ △・△
少女レベッカ
1903 1-12 才 父死亡 伯母の元へ ○・△
小公女
1905 母親出産時に死亡 7 才インドから 帰国 寄宿学校に入るが父死亡 ×・△
1908 生後 3 ヶ月で母死亡 4 日後父も死 去 近隣の夫人に引き取られる 8 才で別の夫人の元へ その後孤児院 に 4 ヶ月いて、11 才でクスバート 家へ ×・×
1911 9 才両親死去 叔父の元へ △・△
足長おじさん
1912 捨て子 孤児院で育つ 資産家に見 込まれ大学へ ×・×
ポリアンヌ
1913 母死去 牧師の父と暮らす 11 才 父死去 母の妹の元へ ×・△ (モンゴメリ)(1874~ 1942) 21 ヶ月母死去 母方祖母(厳しい) の元へ 父再婚し、しばらく共に住 むが継母とうまくいかず、祖母の元 に戻る ×・○
< 注 1> ×:幼少期に死去 △:学童期に死去 ○:健在
19 世紀から 20 世紀はじめのヨーロッパの社会情勢
いわゆるヴィクトリア朝時代の都会には孤児が沢山いました。
ヴィクトリア朝(ヴィクトリアちょう、英語: Victorian era)は、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指す。この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期であるとみなされている。
なぜこうなったかというと、親が死ぬことが多かったからです。工場労働による死亡率もさることながら、出産による死亡もかなり多く、子が多いほど死にやすくなります。それは子が多いほど一家の収入が高くなるという状況も拍車をかけます。
各地に孤児院を建てることで解決を図ろうとしますが、あくまで殺さない程度に生かすというもので、現代の孤児院と違って劣悪で、しかも出所時の職業斡旋や生活の保護も貧弱でした。
現代と違い、孤児は貧民とされました。貧民とは働く能力が無い者たちという意味で病人や老人と同等です。社会のゴミ扱いされていた彼らに残された道は懲治院に行くか、売春するか、下級労働者になるかだけです。
男達は大抵最下級の肉体労働者となり、場合によっては徒党を組んだ窃盗団となったり、スリ、お手伝いなどをして小金を稼ぐ場合もあります。女性はもっとひどく、職業選択先が売春かメイドくらいしかありません。また、孤児であることをいいことに無休、無給で過重労働をさせられる例が多発していました。浮浪者であったほうがマシなほどです。
彼らは浮浪者となるとまた懲治院に収容されるなどします。その繰り返しとなり、犯罪が増えることはまた当然とも言えます。
一方でジェントルマンのステータスとして社会へ多額の寄付をすることも一方であったり、ちゃんと社会復帰する孤児も、善良な雇い主もいましたし、教会の保護、養子受け入れ等まったく事態が放置されていたわけでもありません。
社会の下層には家計のために子どもを働かせることはよくありました。下層な階級ほど子沢山なのは洋の東西を問わないと思います。仕事の合間にああいうことをやっていたのはないでしょうか。産業革命期からヴィクトリア朝にかけてはそうですが、工場法(1833)が制定されると9歳以下の労働は禁止されます。
愛情を受け取れたヒロインと受け取れなかったヒロイン
ハイジ、足長おじさん、赤毛のアンなど、多くのヒロインは親などからの愛情を受け取れていません。
時代背景からこの時代は孤児が多かったわけですが、彼女たちに共通するのは親などの愛情が受け取れなくとも、何かしらの愛情を与えてくれる存在があり、逞しく育っていく過程が描かれることが多いのです。
そして、一つに考えられるのが、発達障害との関係です。
愛情の欠如の裏返しと発達障害の関係性がどの程度あるのかは確かではありませんが、実はアンやハイジなどADHD近い性質を持っているのです。
この関係から、肉親への愛情、家庭環境などの要因が発達障害と何かしらの関係があるのではないかと現在研究しております。