負けを認める
負けを認めるそれは強さです。負けを認めなければ絶対に勝てません。人間誰しも永遠に勝ち続けると言う事はありえません。
いくら優れている人であろうと必ず負けます。
私は優れた人間ではない。だから、たくさん失敗したし、たくさん負けてきた。
悔しくてたまらない。
でも、負けを認めることを覚えた。
世の中そんな甘くないですね。
上手くいかないことだらけです。
お手上げの状態になる前に降参する、負けを認めなくてはなりません。
そうすれば、またやり直せる。
体力を使いきって降参していては遅いんです。
絶対に起き上がれないし、そこでゲームオーバーはい残念ってことです。
降参ってのは余力を残してやるもんですよ。
完膚なきまでに叩きのめされたら、それはただの敗北です。
負けを認めることは諦めるということではない
負けを認めるというと、諦めると考えてしまう人もいるかと思いますが、それは違います。
決して、諦めているわけではありません。負けを認めるということは次に繋げるための強さなのです。
諦めてはいけません。その時点で敗北が決まるのです。負けを認めても、諦めなければまだ、試合は終わっていないんです。
ブラック企業の社長が言いそうな言葉で個人的には好きではありませんが、諦めなければ、負けではないと言うのは同意します。
次に繋がればそれは成功なのです。次に繋がらない負けは真の意味で敗北を意味します。
人生は長い
人生は短いように感じるかもしれませんが、実際は長いんです。短く感じるのは記憶を忘れているだけです。この世界を流れている時間は変わりません。
人生は長いので、何度でもやり直せます。(スポーツなんかは体力勝負なので厳しいかもしれませんね)
上手く行くか行かないかは、はっきり言って運です。だから、試行回数を稼げばいつかは成功します。
しかし、体力がなければ、試行回数を稼ぐことはできない。一直線に突き進むのは構いませんが、状況が変われば柔軟に対応できるだけの能力は絶対に必要です。
逃げるが勝ちって言葉もありますからね。
時には逃げることも大事です。
逃げるのはカッコ悪くありませんよ。むしろ、逃げることはカッコいいことです。
負けを認める強さがあるのだから。
成功している人は考えてる
成功している人はみんなすごい考えています。凡人にはなかなかできません。どんな状況であろうと冷静に判断を下せるそんな人たちです。
こればかりは、才能なのかもしれません。私には到底できない。
一日中常に一つのことを考えて入られますか?
彼らは全ての可能性を頭にいれて、誰が最適な選択肢であるのかを常に考えているのです。
それぐらいの思考力、集中力がなければいけません。
私はせいぜい1時間が限界です。
それだけで一生追いつけない差があります。
人間には役割ある
人間には役割があるというか、向いているもの向いていないもの、得意不得意があります。中には、何でもできる人もいますけどね。
やはり、自分の役割というものを明確にすることが必要だと思います。私はエンジニアにはなれないし、経営者にもなれません。なぜなら、向いていないから。
性格や、才能から形成されるものですから、後天的に能力を獲得することは難しいように思われます。
でも、不可能ではないと思う。
自分を受け入れることで大事なものが見える
自分に何ができないのかを知ること、受け入れることで本当に自分ができること、したいこと、しなければならないことがわかると思います。
私には才能がなかった。どんなことをしても、普通より上には行けなかった。
でも、それはしょうがありません。私は私にできることをするまでです。
私には、何もできない。唯一できるのはこうして文字を打ち込むことだけです。
だから、私はこのブログを書き続ける。
だって、それしかできないんだから。
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