B! ゴロビシャ ネメシスの使い魔

小説が崇高なんて勘違いしてるのは痛い小説は最も非文学的です

 

文学の中で小説は最も「非文学」的なもの

 一 小説はあらゆる文芸中、最も非芸術的なるものと心得べし。文芸中の文芸は詩あるのみ。即ち小説は小説中の詩により、文芸の中に列するに過ぎず。従つて歴史乃至伝記と実は少しも異る所なし。

 

小説作法十則

芥川龍之介

漫画や映画に比べたら、言葉だけが媒体である小説は非常にプリミチヴなものです。
そんなプリミチブなところまで降りてくる人は多くはないでしょう。

技術レベルは明らかに、漫画の方が上です。絵が描けないといけませんから。

さらにその上に映画やアニメがあります。実際に映像が動く、音もでる。

 

文書+絵=漫画

文章+絵+アニメーション+音=アニメ、映画

文章+絵+アニメーション+音+プログラム=ゲーム

 

技術レベルで言えば最も文学的なものはゲームになります。

自分で操作できて、それによって無数の物語が生み出される。

簡単に言えば、著作権の塊がより文学的なものと言えるのだと思います。

 

このように、文学のレベルで言えば小説よりもより文学的な物で溢れている現代で、それを認めない、わからない人々がいる。なぜ彼は、小説が崇高なもので、漫画やアニメ映画といったものを低く見るのであろうか。

決してそんなことはなく、むしろ漫画やアニメ映画といったものの方がより文学的なものだといえます。

しかし、なぜこのように小説が崇高なものとして受け入れられてきたのでしょう。

それは単純に小説には歴史があるからです。

結局、偉い人が凄いといったから崇高なものとして捉えているにすぎないのです。

なおかつ、我々が受けている学校教育の場で小説と言うものが広く読まれています。

そのために人々の潜在的の意識の中に、小説が学問であるという考え方が植え付けられてしまっているのです。

しかし小説というのはあくまで、エンタテイメントの1つであることを忘れてはいけません。

 

本来持ってる価値より、 小説は高く、漫画は低く評価されてきたと言えます。

エンターテイメントに特化するとただの商品に

しかし、エンタメに振れすぎると、逆にエンターテイメント性を削いでしまうことが多々あります。

文学には、哲学があり思想がありあるはずです。

 

近年の作品は、ただの商品となっているのです。大量生産大量消費の現代的な経済モデルの中に組み込まれ、何の深みもない、面白みのない作品がマスプロ的に大量生産されてしまいましたのです。

哲学や思想というものが欠如してしまい、文学的要素が何1つなく、ただの商品と化している。そこに文学的価値はなく、遊園地のジェットコースターのようなものになってしまった。

本来の意味でのエンターテイメント性がなくなってしまったのです。

このような商品と化した近年の作品は小説にも劣るのです。

単純に娯楽作品としてポップコーンを食べながら見るような作品が本当にエンターテイメント性として優れているのかと言う、私はあまり優れているとは感じません。

自分の中で何かしらの感動や感情の起伏あるいは思考といったものが何一つ芽生えてこないのです。

ある種のカタルシスのようなものがない作品は小説以上に非文学的と言わざるえません。

このような体験をエンターテイメントであると捉えられる人は多くありません。

小説に出来て、漫画、映画に出来ないものって何?

文学にできて、漫画や映画、音楽その他文学以外の芸術にできないことは何か。 
あると思いますか? 
ないとしても、戦略として現代に文学を生き返らせるにはどうすればいいか、何か方法はありますか?

私は全く思いつかない。

小説も漫画も映画もアニメも数多く読んで、見てきましたが、過去に心を揺さぶられるほど感動した作品はやはり、映画や漫画の方が多いです。


純粋に芸術の表現手段として、 漫画のほうが小説より数段に上なのです。人間の情報は8割視覚からの情報です。文章の場合一旦自分の頭の中で映像化する作業が必要ですから、当然情報の劣化が激しくなるのです。

文学とは人生です。作家はそれを表現するために文章や絵、映像、音楽を作るのです。

文章だけで、全てを表現するのは到底無理な話なのです。小説がであれば必ず映像化を望むはずです。

それが、全てを物語っていると思います。文章だけでは完全ではない。不完全なものを見せたいと思うほど作家は甘くありません。

文学とは人生である

最も文学的な文学は人生そのものです。

小説は文字と言う記号を使って自らを表していくものです。

漫画であればさらに絵という記号も使う。

映画であれば、役者という記号を使って自らの思想哲学を表現する。

今ではVRなんて言うものも出てきました。しかし、その先には一体何があるのでしょうか?

直接脳に訴えかけてくるものしかないのではないでしょうか?

実際に触れれば物の形が変わる。自分の行動次第で様々なストーリーが起こる。

無限にも思えるような膨大なストーリーが展開されていく人生そのものが最も文学的なものである事は語るまでもありません。

そもそも、小説もアニメも映画も漫画も全て究極的には、人生そのものを伝えているのです。それはフィクションでも同じ話です。その作品の中には、固有の世界が実在し、そしてその中の主人公も一人人間として独立した意思を持っています。

フィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、文学はつまるところ、誰かの人生を描いているのです。面白い人の人生は最高のエンターテイメントであり、最高のアートであると言えます。

最も文学的な文学エンターテイメント中のエンターテイメントを味わいたいのであれば、自分の人生そのものを自らが操作し、面白いものにしていかなければならないということです。

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