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縄文文化の魅力なぜ人は縄文文化に魅了されるのか

縄文文化の魅力

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今密かに縄文文化がブームだという。

今日本に何が起きているのか、日本人の祖先縄文人の魅力とはなんなのか。

 

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「火焔型土器」(新潟県)(写真提供:特別展「縄文」主催者)

暇で模様を描いた縄文土器

その力溢れる造形にエネルギーを受け取る人は多いようだ。

豊穣を祝う豊満な土偶

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(左手前から)「土偶 縄文のビーナス」(長野県)、「土偶 縄文の女神」(山形県)、「土偶 仮面の女神」(長野県)、「土偶 合掌土偶」(青森県)、「土偶 中空土偶」(北海道)(写真提供:特別展「縄文」主催者)

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土偶 縄文のビーナス」(茅野市尖石縄文考古館蔵、写真提供/山岡監督)

 

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土偶 縄文の女神」(山形県立博物館蔵、写真提供/山岡監督)

 

文字を持たなかった時代に、高い技術力で独特の造形美を生み出した縄文人

 

縄文ブーム

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特別展で販売されたペンライト。グッズのユニークさも話題になった(写真提供:特別展「縄文」主催者)

 

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遮光器土偶飴(写真提供:特別展「縄文」主催者)


文展を企画した東京国立博物館の品川欣也(よしや)考古室長は、「多くの方々に『縄文』を知ってもらえる機会となり、興味をもっていただく機会になったのであれば、担当者としてうれしく思っております」と縄文展のヒットを喜ぶ。

縄文時代は、およそ1万3000年前から始まり約1万年続いたとされる。大森貝塚を発見したエドワード・モースが、発掘した土器の縄目模様から「cord marked pottery」と名付けたことで、縄文の呼び名が定着した。

人々は竪穴式住居に暮らし、氷河期が終わった日本列島の温暖で湿潤な気候のもと、クリやどんぐりなどの植物のほか、狩猟や漁撈(ぎょろう:魚や貝などの水生生物をとること)などで食糧を得ていたとされる。

しかし、なぜ今「縄文」なのだろうか?

 

岡本太郎縄文文化

岡本太郎は、1970年大阪万博の「太陽の塔」をデザインした芸術家。40代以上の人にはテレビで「芸術は爆発だ!」と叫ぶ奇人系タレントとして記憶している人も多いでしょう。しかし、彼が1950年代に民俗学的視点から、縄文土器を再評価し、日本文化論を多数著してきたことはあまり知られていません。今回は芸術家という枠に納まらずに活躍した岡本太郎について紹介します。

太郎は、1911年(明治44年)、漫画家の岡本一平歌人・作家のかの子との間に一人息子として生まれました。父は有名な漫画家、母は人気作家という家庭環境が、芸術家岡本太郎の土壌となったのは確かでしょう。がなかなか複雑な家庭環境でもありました。

父は収入こそあれ、そのほとんどを交遊に使ってしまう放蕩ぶり。母かの子は創作活動に邁進し、家事・育児は一切せず。しかも愛人をつくり、夫公認の下で同居するという自由奔放ぶりでした。当時としては、いや現代においても破天荒な家庭環境が、古い価値観や制度に縛られずに、人や物事の本質を見抜く“眼”を養ったのかも知れません。

 その後成人した太郎は、フランスの大学で哲学・社会学民俗学を学び、つねに既製の伝統主義的価値観を否定し、人間の根源的な力を探し求め続けました。

 その太郎が、戦後まもなく出会ったのが、縄文土器です。その出会いは衝撃的なものでした。

 

●縄文との出会い

「偶然、上野の博物館に行った。考古学の資料だけを展示してある一隅に何ともいえない、不思議なモノがあった。 ものすごい、こちらに迫ってくるような強烈な表現だった。何だろう。・・・・縄文時代。それは紀元前何世紀というような先史時代の土器である。驚いた。そんな日本があったのか。いや、これこそ日本なんだ。身体中に血が熱くわきたち、燃え上がる。すると向こうも燃あがっている。異様なぶつかりあい。これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ。」

縄文土器にふれて、わたしの血の中に力がふき起るのを覚えた。濶然と新しい伝統への視野がひらけ、我国の土壌の中にも掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいることを知ったのである。民族に対してのみではない。人間性への根源的な感動であり、信頼感であった」。(「縄文土器論」の一節より)

 

縄文土器は闘争する民族の冒険譚

そして彼は、縄文土器のもつ力強さを、深い感動とともに克明に表現します。

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「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋廻する隆線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋に透った神経の鋭さ。常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」。(「縄文土器論」の一節より)

 「縄文土器のもっとも大きな特徴である降線紋は、はげしく、するどく、縦横に、奔放に躍動し、くりひろげられます。その線をたどっていくと、もつれては解け、混沌に沈み、こつ然と現れ、あらゆるアクシデントをくぐりぬけて、無限に回帰しのがれていく。弥生式土器の紋様がおだやかな均衡の中におさまっているのにたいして、あきらかにこれは獲物を追い、闘争する民族のアバンチュールです。さらに、異様な衝撃を感じさせるのはその形態全体のとうてい信じることのできないアシンメトリー(左右不均斉)です。それは破調であり、ダイナミズムです」(『日本の伝統』)。

 

広葉樹林

日本の風土、特に東日本の広葉樹林や深い山、谷、川を、獲物を求めて縦横に駆け巡る縄文人の姿が今にも見えてきそうです。彼らの自然観、すぐれた空間感覚が、縄文土器のダイナミックな造形を生み、それが太郎の、そして私たちの根源に眠る縄文の魂と共鳴した瞬間でした。

 ●歓びと祭りが闘いの活力源

そして、「掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいる」と言わしめた、縄文の世界観がどのようなものであったか? 太郎は縄文と弥生の生産様式の違いから、考察を進めていきます。

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「縄文式時代は狩猟期であり、弥生式時代には人びとは、かなり大きな集落を作って、農耕生活をおこないました。この二つの異なった社会生産の段階において、生活はとうぜん異なった世界観に彩られます。狩猟期にあっては、糧はたたかいとらねばなりません。獲物をおっかけて突きすすみ、仕とめる。躍進、闘争はその根本にある気分です。それはきわまりなく激しく、動的であり、むごたらしいほど積極的です。ところで猟ではとうぜん、いつも望みのままの獲物がとれるとはかぎりません。おもしろいように大猟のときもあれば、獲物の影一つ見ないシケもありましょう。不猟はただちに飢えを意味するし、生命の危機です。それと反対に、大猟は歓喜であり、祭りです。」

(中略)

「ところで、農耕民族の律儀さもとうぜん彼らの生産様式に規定されているのです。彼らは土着します。農耕生活は年々が一定の規律をもった繰り返しです。カレンダーによる周到な計算と、忍耐づよい勤勉がその生活条件となるのです。秋の実りは蓄積されて、次の1年を保証します。まれにおそってくる天災、飢饉のほかは彼らの生活を根こそぎおびやかすものはありません。安定と均衡、節度と従順、必然と依存の意識が世界観を支えるのです。」

 いうまでもなく、太郎は文明以前とされていた縄文の時代にこそ、人類が根源的にもっている力、現実の中で生き抜く力を見てとったのです。この発見は、その後彼が、北海道のアイヌ文化、東北地方や沖縄の伝承文化に興味を持ち、フィールドワークに向かう大きな契機でもありました。

 ●社会閉塞の突破口となる縄文の魂

さて、太郎は縄文土器、縄文の魂から何をつかみ、何を伝えようとしたのでしょうか。

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「われわれが縄文土器のあの原始的なたくましさ、純粋さにふれ、今日瞬間瞬間に失いつつある人間の根源的な情熱を呼びさまし、とりかえすならば、新しい日本の伝統がより豪快不遜な表情をもって受けつがれるのです。そうありたい。」

 「それが現実であり、日本現代文明の姿であるならば、全面的におのれに引きうけなければならない。(中略)まず冷静に正視する。それはのりこえる第一の前提です。残酷な、絶望的な現実であるならばこそ、あるがままを認め、そこから出発する決意を持つべきです」

 「それ以上の現実をつくり、生きがいを押しだしてゆくことだ。いかにしてそれを変え、ゆたかに充実した世界に高めてゆくかというほうにエネルギーを投げつけるべきです。そのときこそ、おのれの責任感によって、憤りと勇気と情熱とで、腹がふくれあがるでしょう。いやでもおうでもやらなければならない、だからこそ生きがいのあるいとなみです。」

「岡本太郎 縄文」の画像検索結果

彫刻「縄文人

「太陽の塔」の画像検索結果

太陽の塔

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イヌの植木鉢

 

 太郎は、1970年の大阪万博で中央広場のメインデザインを託され、有名な「太陽の塔」をつくります。しかし彼は万博のメインテーマである「人類の進歩と調和」には終始反対していたといいます。

「文明の進歩に反比例して、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と太郎は語っています。また、塔内部に歴史上の人物の写真を並べる主催者の案に反対し、「世界を支えているのは無名の人たちである」といって、無名の人たちの写真や民具を並べさせた。という逸話も残っています。

縄文の情熱や闘争を失ってしんまった人類は、進歩どころかむしろ退化しているのだ、というのが彼の考えでした。

 縄文人に同化した太郎の“闘争”とは、大きな転換期を向かえた現代社会の問題を抉り出し、乗り越えんとする挑戦でした。奇しくも1970年。私たち日本人が物的豊かさを実現し、モノから心へ、私権から共認へと意識潮流が変化していく起点となる年に、「太陽の塔」を世に問うたことは、歴史的に大きな意味をもっていると思います。

◇現実を正視せよ

◇その現実を肯定視し、そこから出発する決意をもて

◇そして、それ以上の現実をつくりあげろ

◇それこそが私たちの生きがいであり、そこに大きな歓喜と祭りがある。

 太郎は縄文の魂から、次代を切り開く「実現の論」を見出したのです。

 

 

日本には侘び寂びの文化があり、日本美術には引き算の美学、ミニマルな美しさが漂います。にもかかわらず『火焔型土器』を代表に、縄文土器は非常に装飾的。同時期の世界の土器と比較しても、このダイナミックなデザインはかなり独創的です。

効率よく食物を摂取すべく、煮炊き用の道具として生まれた土器。機能性を保ちつつ、そこにデザインの要素が足されたのには、土器にも土偶にも、呪術的な意味が含まれているからと言われています。

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国宝 土偶合唱土偶 青森・八戸市蔵(八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館保管)青森県八戸市風張1遺跡出土 縄文時代(後期)・前2000~前1000年

 

魅力の2つ目は、この祈りの美。

祈る気持ちを表したデザインからはその時代を生きた人の思いや習慣を類推でき、とても面白い。たとえば祈りの姿そのものを象った『土偶 合掌土偶』を見ると、「数千年も前から、人は祈る際に胸の前で手を合わせていたのか!」との事実に気づきます。

なんだか不思議に思いませんか? そもそも、1万年以上前から人類が「ただ使えるだけでなく、美しいもの、心安らぐものを作ろう」としてきた、創作心の芽生えや意欲に筆者は感銘を受けてしまいます。

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重要文化財 ハート形土偶 個人蔵 群馬県東吾妻町郷原出土 縄文時代(後期)・前2000~前1000年

 

華やかな色が施されているなど、見た目が派手な展示品ではありません。ですが、「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎が共鳴した、思わず叫びたくなる凄みや芸術の本質のようなものが感じられるはずです。

これまでに9万件超が確認された縄文時代の出土品のなかでも、国宝指定されているのは6件のみ。縄文文化は日本列島全土に広がっているため、各所から出土し、各地で所蔵されています。その国宝6件が、一堂に会します(うち2件は7月31日から展示)。こんな機会はめったにありませんので、この夏は必ずや縄文展へ!

会場は、岡本太郎縄文土器に出会った場、トーハク(東京国立博物館)です。1万年前の人類のすごさに、そして、これに芸術を見出した岡本太郎に。いろいろなものに思いを馳せる場となりそうです。

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重要文化財 人形装飾付有孔鍔付土器 山梨・南アルプス市教育委員会山梨県南アルプス市鋳物師屋遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年

縄文の、特に土器の美に衝撃を受けた岡本太郎は著書「日本の伝統」で、「これでもかこれでもかと、執拗にせまる緊張感。しかも純粋に透(とお)った神経のするどさ」と評し、「まるで異質で、ただちにわれわれと結びつけては考えらえない」と、現代に生きる日本人との美に対する観念の断絶を指摘した。

かわいいと感じる人、すごさ、恐れを感じ取る人、感情移入する人。さらには、アソビ心を刺激される人――。言葉を超えた根源的な何かを求めて、人々は縄文に吸い寄せられ始めている。

 

「あの原始的なたくましさ、純粋さにふれ、今日瞬間瞬間に失いつつある人間の根源的な情熱を呼びさまし、とりかえすならば、新しい日本の伝統がより豪快不敵な表情をもって受けつがれるのです」

岡本太郎『日本の伝統』[光文社知恵の森文庫]より)

現代に生きる縄文人のDNA

縄文時代にはまる人が続々 ブームの仕掛け人に聞いた|MONO TRENDY|NIKKEI STYLE

縄文時代の暮らし

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