序破急
起承鋪叙結
書き出しのルール
・段落の書き出しは一マス分スペースが開く。
小説も文章です。作文が書き出しが一マス開いたように小説の書き出し、段落の書き出しも一マス空けましょう。
《例文》
ある日、公園でボールを拾った。ゴムでできた黒いボール。俺は、何気なくそれを拾い上
げた。周りを見渡すが、キャッチボールをする少年の姿は見当たらない。
↓
ある日、公園でボールを拾った。ゴムでできた黒いボール。俺は、何気なくそれを拾い
上げた。周りを見渡すが、キャッチボールをする少年の姿は見当たらない。
感嘆符・疑問符のルール
・!や?の後ろには一マス分スペースが開く。
会話文などでよく使う「!」(感嘆符)や「?」(疑問符)の後ろは一マス文スペース
を開けます。見やすくするためです。
しかし、会話文の最後『」』の手前だけは開けません。
《例文》
その時だった。後頭部に軽い痛み。ポーン、という音とともに黒いボールが転がった。
「痛ってぇ!またボール?一体誰だ?」
↓
その時だった。後頭部に軽い痛み。ポーン、という音とともに黒いボールが転がった。
「痛ってぇ! またボール? 一体誰だ?」
句点のルール
・会話文の最後には『。』が付かない。
会話文の最後には基本的に『。』(句点)が付きません。『」』に句点と同じ意味がある
からです。
(現役の作家さんの中にはつける方もいらっしゃいますが、小説を書くことの基本を覚え
るまではお勧めしません)
《例文》
後ろを振り向く。さっきまで誰もいなかったはずの場所に少年が佇んでいた。
「お兄さん、痛かった? ごめんなさい。」
↓
後ろを振り向く。さっきまで誰もいなかったはずの場所に少年が佇んでいた。
「お兄さん、痛かった? ごめんなさい」
沈黙のルール
・『・』(なかぐろ)は使わない。
沈黙を表したり、会話文の最後につけて含みを持たせたりする「・・・」。通常は『…』
(三点リーダ)を二つ続け『……』と使います。中黒は漢字平仮名文の中では点が大きく
浮いてしまうため、三点リーダを使いましょう。二つといいましたが、偶数回で使う分には
問題ないようです。
《例文》
「痛かったって言っても・・・そこまでは痛くなかったけどさ・・・」
俺は、ボールを拾いながら答える。手には二つのボール。少年に返す前に尋ねた。
「なんでこんな事したの?」
「・・・・・・」
少年は押し黙っていて、一向に答えない。
↓
「痛かったって言っても……そこまでは痛くなかったけどさ……」
俺は、ボールを拾いながら答える。手には二つのボール。少年に返す前に尋ねた。
「なんでこんな事したの?」
「…………」
少年は押し黙っていて、一向に答えない。
数字のルール
・算用数字(アラビア数字、1234)は使わない。
横書きは算用数字。これは一般常識です。しかし、小説は普段は縦書きで書きます。よって文章に登場する数字は縦書きにあわせ、漢数字で書くのが一般的です。
単語・慣用句などに含まれる数字(「一人前」や「百発百中」など)は絶対に漢数字で書くはすです。文章の中で1と一、100と百が混在しているのは、読み手にとって苦痛です。
漢数字に統一した方が無難です。
絶対に算用数字を使うな、というわけではありません。作品によっては算用数字を用いることで雰囲気を作ることもできるでしょう。しかし、慣れるまでは統一することをお勧めします。
《例文》
もう一言かけようと思ったときだった。
「バーカ!」
捨て台詞を吐くと、少年は脱兎のごとく逃げ出した。逃げる先には2,3人の人影が見える。
少年の仲間だろうか?
俺は少年を追いかけた。100メートルもしないうちに捕まえた。
↓
もう一言かけようと思ったときだった。
「バーカ!」
捨て台詞を吐くと、少年は脱兎のごとく逃げ出した。逃げる先には二、三人の人影が見える。
少年の仲間だろうか?
俺は少年を追いかけた。百メートルもしないうちに捕まえた。
ダッシュのルール
・ダッシュは二つつなげて。
時間経過を表したり、余韻を残させたりするダッシュ(ダーシとも)。よく、-----やーーーなどで表しがちですが、正しくは『―』(ダッシュ)を二つつなげて『――』と使います。
これについても偶数回の繋がりなら許容されるようですが、多用はお勧めしません。
《例文》
「僕を捕まえたって無駄だよ! だって、もうお兄さんは拾っちゃったんだから-----」
「一体どういうことだ?」
「そのボールは拾った人間の所に集まるんだよ! 僕がぶつけたんじゃないんだ」
少年はそう言い残すと俺の手をすり抜けて逃げていった。
拾った人間の所に集まる? 何のことだ? その瞬間だ。背後から轟音が聞こえてくる。先ほ
どまで小高い丘だと思っていた膨らみが、こちらに迫ってくるーーーー
---翌日。
昨日とは違う位置にできた丘の手前で男がボールを拾う。丘がざわり、と動いた。
↓
「僕を捕まえたって無駄だよ! だって、もうお兄さんは拾っちゃったんだから――」
「一体どういうことだ?」
「そのボールは拾った人間の所に集まるんだよ! 僕がぶつけたんじゃないんだ」
少年はそう言い残すと俺の手をすり抜けて逃げていった。
拾った人間の所に集まる? 何のことだ? その瞬間だ。背後から轟音が聞こえてくる。先ほ
どまで小高い丘だと思っていた膨らみが、こちらに迫ってくる――――
――翌日。
昨日とは違う位置にできた丘の手前で男がボールを拾う。丘がざわり、と動いた。
起承転結とは
次に起承転結の説明をします。
起承転結とは物事の展開や構成を表す言葉で、元々は漢詩の絶句の構成のことです。
起:物語の導入部です。登場人物、世界観、設定舞台の説明などをこの部分で行います。
承:「起」を受け「転」へとつなぐ部分です。小説はこの部分がもっとも長くなります。
転:物語の核となる盛り上がりの見せる部分です。山場。「ヤマ」とも呼ばれます。
結:物語を終結させる部分です。「オチ」とも呼ばれます。物語がどう終わったのかを表します。
起承転結の例として、頼山陽の俗謡がよくあげられます。
起 : 京の五条の糸屋の娘
承 : 姉は十六 妹十四
転 : 諸国大名は弓矢で殺す
結 : 糸屋の娘は目で殺す
これを読んで意味の分かる方は、これ以上読む必要はありません。
古典落語などには、この起承転結がうまく使われたものが多いので、参考にするといいかもしれません。
特に落語は「オチ」が素晴らしい物が多くあります。興味のある方はどうぞ。
また、ストーリーの展開を表すものとして序破急というものもあります。これは起承転結の起と承を序として括り、全体を三つのパートに分ける手法です。基本的に作り方は起承転結と変わりません。
それでは分かりやすい具体例をあげてもう一度説明します。
題:空き缶
俺は缶を拾った。炭酸飲料の代表みたいな、あの赤いジュースの缶だ。
持ってみると、全然重くない。きっと中身は空だ。
しかし、よく見てみるとどうもおかしい。プルタブが開いてないのだ。
だが、俺は気にせずゴミ箱に捨てた。――その空き缶の中には宇宙のすべてが詰まっていたのに。
一つ一つの区切りを説明します。
『起』について
《起:導入部》
『俺は缶を拾った。炭酸飲料の代表みたいな、あの赤いジュースの缶だ。』
登場人物の説明をします。この例文では「俺(主人公)」と「缶」が出てきます。主人公の説明としては、自分のことを「俺」と呼ぶことがこの一文から分かります。つまり、主人公は男であるということもこの一文で説明することができるわけです。(一人称の扱い方については後述)
次に缶です。ここでは「炭酸飲料の代表」「赤いジュースの」という語句で缶を説明しています。
これで大体の人は缶の大きさ、種類が分かったはずです。
さらに、「炭酸飲料」「ジュース」という語句のおかげで世界が現代である(少なくとも江戸時代の日本ではない)ことが説明できます。例文では不足していますが、世界観の説明も大切です。
このように《起》ではできるだけ具体的に登場人物、世界観の説明をすることが大事です。《起》は小説の顔ですので、できるだけ力を入れた文章を練りましょう。
▲ ▼
『承』について
《承:起から転へ》
『持ってみると、全然重くない。きっと中身は空だ。』
承は、起で説明した世界を転(ヤマ)まで運ぶ役割を持ちます。この例文では短くなっていますが、通常の小説ではこの部分が最も長くなるのが普通です。推理小説であれば《起》で事件が起こることを説明し、実際に《承》で人が殺される、死体がみつかる、などの事件が起こります。さらに、転で探偵が謎解きのきっかけを見つけ、結で解決する、といった流れになるでしょう。
つまり、《承》は物語の中軸を支える役割をしますが、あまり大きな展開は起こらないのが特徴です。
『転』について
《転:ヤマ》
『しかし、よく見てみるとどうもおかしい。プルタブが開いてないのだ。』
転はヤマです。物語の中核ですので気合を入れましょう。転が奇妙で、突拍子もなく、読者の想像を超えることで《結》が生きます。
例文では「持ってみたら軽くて中身が入っていないのに、蓋が開いていない」という不思議な現象でオチへの布石を作っています。
《転》では、物語の中でも最も大きな転機を見せましょう。
▲ ▼
『結』について
《結:オチ》
『だが、俺は気にせずゴミ箱に捨てた。――その空き缶の中には宇宙のすべてが詰まっていたのに。』
結はオチです。読み手を笑わせるも泣かせるもオチ次第です。(例文のオチは説明しませんがw)
オチにはいくつか種類があります。どれも使い古されたものではありますが、逆に言えば洗練された手法でもあります。いくつか説明しますので覚えておくと便利です。
以上、長々と説明しましたが、必ずしも起承転結を付けなければいけない訳ではありません。むしろ、これに沿うなという意見もあるぐらいです。しかし、作者自身がストーリーの流れを理解する上でも起承転結を把握しておくことは重要です。
起承転結を意識して、ヤマなし、オチなし、イミなしといった小説にならないように努力しましょう。
オチの種類
夢落ち
誰もが聞いたことのある夢オチ。物語中は波乱に満ちたストーリー展開を見せるが、物語の最後に「それまでの出来事は夢だった」という結末で終わることです。いわば肩透かし。すでに使い古された感が否めないのであまり好まれないオチですが、綺麗に決まればこれほど美しいなオチはありません。
それ故使いこなすのも難しいと思いますが、興味があったら使ってみるのもいいでしょう。
デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)
難しい言葉ですが意味は簡単。神様のように超強力な力を持ったものが強制的に物語を終結させます。
分かりやすい例で言えば、水戸黄門の持つ印籠でしょう。どんなに剛情で、偏な悪代官も葵紋の前に ひれ伏す。
最近人気の作家でも、この手法を使っている作家さんはいます。内容に触れることになるので作品名などは言いませんが、探してみると結構多く見つかります。参考にするといいでしょう。
考えオチ
元は落語用語です。ちょっと考えないと分からないようなオチ。オチまでの流れで伏線を散りばめておき、それを暗に取りまとめる。そうするとオチの言葉上は何が面白いのか分からないけど、よく考えると「あ、あそこの表現はこれのことだったのか」「あの言葉の意味はこういうことだったのか」 と納得できるようなオチになります。
かなり高等なテクニックが必要(伏線の張りと回収を読者にばれないように行わなければいけない)ですが、習得すれば強い武器になるでしょう。
時事オチ
誰にでも分かるような時事ネタで落とします。政治風刺、芸能ネタなどなど誰にでも分かるネタで
落とします。注意しなければならないのは、どんな世代の人が読んでも分かるネタであること。
BNSKはニュー速VIPのスレッドですが、「やらないか?」で終わるようなものはここでしか通用しないと思ってください。くそみそなんざVIPPERか筋の人しか知りませんw
人称の扱い方
・人称の扱い方
次に人称の扱い方を説明します。
人称という言葉はご存知ですか?人称とは、物語が誰視点で進行するかを表す言葉です。第一人称(自称)・第二人称(対称)・第三人称(他称)が存在し、どれに属するかはっきりしないものを不定称と呼びます。
人称は映画で言えばカメラに相当し、選択によって物語の雰囲気を変えることができます。プロの作家さんの作品では、章ごとに人称を転換することで臨場感を出す効果を狙ったものもあります(サスペンスなどでは、犯人視点・探偵視点が交互に入れ替わり、徐々に二人の距離が接近し緊張感を持たせる等)。
しかし、読者は作者から与えられた人称(視点)に感情移入しながら読むため、これがコロコロと転換すると感情移入し辛く、読みにくい作品になってしまいます。場面の転換に慣れるまでは視点を一箇所に決め、転換させないほうが無難でしょう。また、視点転換は短い作品には向きません。
それではそれぞれの人称について説明します。小説では主に一人称・三人称が多く使われます。
一人称について
<一人称(自称)>
一人称は小説で最もスタンダードで描きやすい人称といえます。一人称とは物語の中の登場人物の一人が、作中での出来事を読者に報告するという形式です。推理小説では探偵やその助手の一人称で進むことが多いです。
語り手の「私」と登場人物の「私」は同一人物ですが、語り手の「私」は作中の出来事を体験した後の「私」である、ということになっているのが一般的です。
語り手の「私」 出来事
|| ――――→ 読者
作中の「私」 臨場感
ここで注意しなければならないのは、一人称では「私」以外の心理描写をしてはいけない、ということです。
作中の私は(特に設定が無い限り)普通の人間ですので、他人の心の中は知りません。見聞きした事、思ったこと、感じたことのみがかけます。ですので、「私はこう思った」と書くことはできますが、「彼は思った」と書くことはできません(この時点で人称が転換しているため)。ですので、作中でこのような表現をしたくても「彼もこう思ったようだ」と書くしかありません。
ですが、一人称では「語り手の私」と「作中の私」を上手く使い分けることで、出来事を客観的に描くこと、臨場感を持たせて描くことの二つを利用することができます。たとえば、
『私はその家に入った』
このことを、前者の「語り手の私」(出来事を体験後の私)で描けば
『私は何も知らずにその呪われた家に入ってしまった』
と体験後に分かったことも書くことができますし、後者の「作中の私」(出来事を体験中の私)で描けば
『私は恐る恐るその家に踏み込んだ』
と臨場感を持たせて書くことができるということです。上手く使い分けてみてください。
三人称
<三人称(他称)>
小説の中で最も多く使われるといっても過言ではない人称です。三人称とは、登場人物ではない第三者が語り手となる人称です。この場合、視点の持ち主は神、カメラなどと称されますが、つまりはその場に存在しないということです。ですので、描写は極めて客観的になります。語り手によって話される童話などはほとんどがこの形式です。
三人称視点には「三人称一元描写」と「三人称多元描写」があります。
「三人称一元描写」は一人称とほとんど同じ形式ですが、語り手と「彼」は別人でありながら、時に「彼」の心情を代弁したりします。
語り手 出来事・
|| 気持ちを代弁
作中の「彼」 ――――→ 読者
「彼は思った」
「三人称多元描写」は語り手は固有の登場人物のみでなく、同時に複数の登場人物の視点から表現を行ったり、心情を代弁したりします。
語り手 出来事・
|| 気持ちを代弁
作中の「彼・彼女」 ――――→ 読者
「彼は思った」
「彼女はこうした」
「三人称一元描写」は一人称とほとんど変わりません。変わる所は彼が見ていないことまで書くことが可能ということでしょうか。つまり、矛盾さえ生じなければそのまま一人称表現に変えることができます。
「三人称多元描写」は、神の描写です。複数人の視点・心理・行動を思いのままに操ることができます。その代わり、一度に処理する事象が膨大な量になり、整頓するのが大変になります。プロ作家も多くはこれを避けるといわれています。
三人称はまとめるのが大変な作業ですが、うまく使えば立体感を伴う多彩な描写を行うことが可能です。
たとえば、
『AはBを刺した』
という文章ですが、
1.AはBを持っていた包丁で刺した。 (事実のみを淡々と描写)
2.Aは、愚かにもBを刺してしまった。 (語り手が勝手にAを批判)
3.Aは気づくと、持っていた包丁でBを刺していた。 (一人称に近い彼の心情を描写)
4.家政婦の目には、Aが包丁でBを刺すのが映っていた。
「あらやだ!」 (かなり高度な描写。家政婦が現場を見たということをさらに別視点で描写している)
と、使い分けることも可能だということです。
最後に
最低限のルールさえ守っていいれば、好きなように書いていい!くだらないこと考える前に文字を書きなぐろう!
■ 小説技術講座 ■
http://www.h7.dion.ne.jp/~p-o-v/lecture/index.html