秋葉原を感じる曲
電気街からオタクの町、そして現在は外国人の観光地。秋葉原も随分と変わってしまいましたが、私が子供だった頃の秋葉と言えばオタクでした。
こんなイメージ
てことで、その時代の秋葉原を感じる音楽をまとめました。いわゆるアキバ系?
サンキトウセン
まにあーずバージョン
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Akiba's trip the animationの第三話エンディング曲「サンキトウセン」
制作はGONZO
Akiba's trip the animationの概要
秋葉原では、謎の敵・”破繰者(バグリモノ)”が出没するという都市伝説が広まっていた。破繰者に噛み付かれると、体を乗っ取られ、自我を失い、自分の意志で行動できなくなるという。妹のにわかと共に秋葉原に来ていたタモツは、たまたま破繰者との戦いに巻き込まれ、瀕死の重傷を負ってしまう。謎の少女・まとめの不思議な力によって一命を取り留めるが、助けられた影響で秋葉原の街から出られなくなる。まとめや有紗やにわか、かげさん達と共に自警団を結成し、秋葉原の自由を守る戦い、破繰者と秋葉原の関係の謎を追う戦いに、仲間と共に挑んでいく――。
けもフレより、こっちにはまってましたねw
GONZO大好きなアニメ制作会社でしたが、ずいぶんと弱ってしまって…
Electric Light Orchestra - Twilight
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電車男のOP曲としても使われました。
これまた制作はGONZO
ついでに
DAICON IVとは、
1983年に開催された大阪では4回目の開催となる第22回日本SF大会の愛称。 「大」阪「コン」ベンションの「4」回目だからDAICON IVである。
DAICON IVとは、DAICON IVのオープニングで放送された自主製作アニメの事。
ややこしいな…
概要
内容もさることながら、それ以上に凄いのが制作したメンバーである。
制作したDAICON FILMはガイナックスの母体となったサークルであるため、 岡田斗司夫、武田康廣、庵野秀明、赤井孝美、山賀博之、板野一郎、平野俊弘、垣野内成美 といったガイナックス初期のメンバーが勢揃いしている。
ちなみに、当時板野らは既にアニメ制作会社に就職していたため、 この動画は野生のプロの原形ともいえる。
SUPERBELL'ZのMOTER MAN (秋葉原~南浦和)
電車と言ったら、アキバ?
こんな曲もあります。
『ア,ア,ア,秋葉原デ~ス!』
『次はわ~らび!(蕨)』
愛のメディスン
のOP曲
制作はタツノコプロ
概要コンセプトは「小麦ちゃんと一緒に遊ぼう」。
邪道魔法少女の一角とされ、実際、主人公の中原小麦は三枚目キャラで描かれている。パロディは老舗のタツノコプロだけあって自社ネタは豊富。
また1巻での秋葉原を舞台にしたモナーなどのAAネタはtvkで先行放送されたときに2ch各所で大騒ぎとなった。
パチスロにもなっており5号機の萌えスロの先駆け的存在。
モナーに代表される2ちゃんねるのAAキャラクターを初めて映像化した作品として知られる。他にも、タツノコプロの往年の人気作品のパロディを連発したり、東京ビッグサイトが巨大ロボに変形してノコギリオブジェで襲って来たりと、マニア向け要素盛り沢山だった。
アオくユレてる
オタクと言ったら
PARTY☆NIGHT
デ・ジ・キャラット20周年おめでとう!
てことで、でじこキャラットのOP曲「PARTY☆NIGHT」です。
秋葉と言ったらでじこだと思っていましたが…
時代が変われば街も変わり行くものです。諸行無常
10年前の秋葉と今の秋葉
でじこの看板は今はない 2015年5月14日に撤去されたみたいです。
概要
1998年にブロッコリーと同社が運営するキャラクターショップ「ゲーマーズ」が無料で配布している雑誌「フロム・ゲーマーズ」の4コママンガ「げまげま」の2話にて「ゲーマーズの妖精」として登場したのが初出である。
余談
でじこを作った会社「ブロッコリー」を調べていたのですが、意外と面白い会社だったんですねー。最近は名前聞かなくなってしまいましたが、私が子供のころはよくCMやってました。
2000年ぐらいだと、小学生にもなってない時期だけど、案外覚えてるもんですね。
話を戻すと、この会社を調べていて面白かったのだ、設立に関してです。
なにが、面白いのかというとこの会社の設立にまさかの山一証券の方が設立した会社なんですよね。
概要
法人関連業務に強く「法人の山一」と言われ、多くの日本の大企業の幹事証券会社であった。企業グループとしては芙蓉グループと緊密な関係にあった。
戦後の一時期まで日本最大の業績を持つ証券会社であったが1950年代から野村證券など他社に抜かれた。
1997年(平成9年)に自主廃業して業務を停止した。
山一證券 野澤正平社長(当時)
「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから。」
20年前の11月24日、当時“4大証券”とうたわれた「山一証券」が自主廃業に追い込まれました。
バブル崩壊による株価の急落。
そして、巨額の損失隠しに手を染めていたことが発覚。
不正の果てに破綻したのです。
「倒産しちゃったら清算も何もないじゃないか。」
あれから20年。
「誠に申し訳ございません。」
「深くお詫び申し上げます。」
バブル崩壊を象徴するような事件でしたから、バブル崩壊=山一!ってイメージが私はあります。
まぁ、バブル崩壊はもうちょっと前ですがね。1997年はアジア通貨危機とかあって拓銀とか長銀もつぶれましたからね。ちなみに長銀は「今でしょ」の林修先生もいたらしいですが、すぐにやめたそうです。
ブロッコリー創設者の木谷 高明さんは
ブロッコリー創業後1994年山一を退社。
同年3月25日、ベンチャー企業のブロッコリーを設立。当初はイベント運営を主な業務とし、1994年〜1998年には同人誌即売会コミックキャッスルを開催。
1996年にはキャラクターグッズ販売店ゲーマーズの1号店を開店。
1998年に始まるデ・ジ・キャラットのヒットで業績を伸ばし、2001年にはJASDAQ上場を果たした。
しかし急激な事業拡大が祟り、2000年には赤字転落。2003年にタカラの支援を受け傘下に入った。
2006年10月19日、ブロッコリーの代表権を返上し取締役会長・最高開発責任者となり、経営は現経営陣に一任し、企画開発・プロデュースに専念するとされた。2007年4月26日付で、取締役会長・最高開発責任者を辞任、自ら創業したブロッコリーの経営から完全に離れた。
山一が潰れる3年前に辞めていたんですね。
97年に山一が潰れたとき、社員の方々はどうなったんですかね…
路頭に迷っていなければいいですが…
破綻から20年 元社員たちは今…
この日、都内に集まったのは、かつて山一証券で働いていた社員たち。
自主廃業から20年という節目の同期会に、全国各地から40人が駆けつけました。
20年たった今なお、複雑な思いが胸をよぎります。元 山一証券社員
「なんで俺がこんな大変な目にあわなきゃいけないかなと。」元 山一証券社員
「破綻した当時、37、38、39歳ぐらいだった。
時の流れは早いな。」元 山一証券社員
「(この場に)登場してこない人たちも、ずいぶん苦労されている人もいるのでは。」会の終わりに歌われたのは、山一証券の社歌でした。
当時、彼らは突如として職場を失ったのです。♪“山一證券の 若人われら”
バブル崩壊と秋葉原
1993年頃:バブル崩壊による家電不況の影響で中堅家電量販店が相次いで廃業する。
電気街からオタクの街へ
2000年頃:メーカー製コンピュータの販売と高級オーディオ機器販売店の規模が縮小し、代わってアニメ、ゲーム、音楽・映像ソフトなどを扱う店舗が増加する。
2002年頃 : アダルト関連グッズを扱う店舗も秋葉原駅電気街口周辺に進出する。
この時はエロゲー流行ったんですかね。妙に秋葉原が舞台のエロゲーが多い。
wiki的には2002~2006ぐらいはかなり力を持っていたのがうかがえる。
ふぃぎゅ@メイト
絵柄が懐かしい感じですね。2000年代は確かにこんな感じの萌え絵が流行っていた。
そう思うと、サブカルチャーの絵柄も随分変わりましたね。
2005年頃:駅周辺の再開発やオタク文化の流行等の影響でマスコミもおたく文化ブームに注目し始め、秋葉原の大衆化が加速する。一方でこの頃より古くからの電気街周辺の店舗・施設の統廃合が相次ぐ。
2005年になるとAKB48が出てきます。
今では、世界にも姉妹ユニットを持つなどかなり大きなアイドルグループになっていますよね。
そんなAKBも秋葉原が始まり地になります。
ごめんなさい。アイドル全然わからん。
2008年:東京都交通局が運行を開始した観光路線バス「東京→夢の下町」の経由地に秋葉原が含まれている。
現在の秋葉原ではかなり観光地化が進められており、外国人の方がいっぱいいます。
国際的な街になったのかもしれません。
いつの時代も秋葉原は秋葉原
青果市場時代、電気街時代、オタクの街時代…
まぁ、秋葉原が昔みたいななんでもありの無法地帯よりは今のほうがいいと思いますけどねw
懐かしく思う人もいるのではないでしょうか。
90年代後半から2000年代までの秋葉原はこんな感じでしたっていうののまとめです。