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天使のたまごとか言う難解すぎて理解できない神アニメ感想評価考察

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天使のたまご

TOKUMA Anime Collection『天使のたまご』 [DVD]

1985年に制作された日本のOVAである。

原案・監督・脚本は、押井守。71分。発売元は徳間書店。DVD版も2001年にパイオニアLDCから販売されている。2007年1月に徳間書店よりDVD版再発。

押井と当時徳間書店の編集者であった鈴木敏夫が組んだ初めての作品である。

評価

★★★★★

星5つ。ただし、オススメはできない。

アニメーターの表現するアニメの究極系でもあり、評価すること自体ができない。

この星5というのは、測定不能の意味。メーターが振り切れてしまった。

感想

こんなにも綺麗で、眠たくて、心地が良くて、陰鬱で、胸が引き裂かれるようなアニメは見たことがない。

 

 

ザ・押井監督って感じでしたね。赤い戦車を見たときにはパトレイバー2を思い出しました。美しくも退廃的なた雰囲気はまさに押井監督ワールドが存分に発揮されていると思います。

 

おそらく、最も押井監督的なアニメだと思います。

 

このアニメの難解さはたまごが破られた時からでしょう。

はっきり言って理解不能だ。

いや、理解できるわけがないのだ。

 

テーマに関してそんなものは無い

明確なテーマなんて存在しなかった。

テーマはないアニメーションで、ストーリーやキャラクターに依存せずにどこまで世界観を表現できるのか。それをやってみたかった。

良く考えると筋は通っていないけど、妙な説得力というか圧倒されると言うか。そういうものを形にしたかったたった一人の妄想だけなんですよ。主題やテーマから離れても映画は成立するのではないか、アニメにはその力があるのではないか、と。

by押井守

 

この言葉の通り。

圧倒された。身体が震えた。それはどこかのおとぎ話のような幻想的な世界で、ありえない、理解できないにも関わらず、妙な納得感がある。

そういうものなのだと納得してしまう。その意味では彼の表したかった映画は100%映像化されたと言っていい。

しかし、それはあまりにも個人的で、幻惑的で暴力的な作品であった。

 

元はノアの方舟生命の樹等が出てきたために、何かしらの宗教的もしくは、生命、進化に関する何かを訴えかけているようにも思いましたが、あまりにもオチが意味不明で何を伝えたか伝えたかったのかわかりませんでした。案の定、明確なテーマは無かったようです。

それゆえに、ふに落ちない、難解、理解不能な作品になってしまったのでしょう。

やはり人間はその映像化されたものに何かしらの目的や意図を見出し、探ってしまうものです。

しかし、それらが存在しないこのアニメーションは、人間では全くと言っていいほど理解できず、意味不明なものに見えると思います。

 

 

深く考えるだけ無駄であり、アニメーションや美術を堪能するための作品であるので、心が荒れた時などに見るのが良いでしょう。

 

本人、著名アニメクリエイターの評価

一方で押井はこの作品を作ったことにより、「わけのわからない物を作る監督」というレッテルを貼られ、『機動警察パトレイバー』の企画が来るまでその後の仕事の依頼がさっぱりなくなってしまったという。

ちなみに監督本人も通して見ると疲れるらしく、TVプロデューサーの堀越徹は一回目に寝てしまい、讀賣テレビ放送諏訪道彦も訳の解らないままテレビで放送したという。

宮崎駿は本作に対し「努力は評価するが、他人には通じない」と述べており、さらに押井によると、直接自分に対して「帰りのことなんて何も考えてない」「あんなものよく作れた」「頭がおかしい」と言ったという。

本作を観た押井の母親からも、もう観客が来なくなるのではないかと、今後を心配されている。

この作品自身もビデオソフトが後に廃盤になり、DVDなどで再発されるまでの間、作品の入手手段が完全になくなる不遇の時代を経験している。製作中、監督料はいらないから印税が欲しいと頼んだが、印税はほとんど入らなかったので貧乏生活を送った。

 

私も20年以上アニメを見てきてこんなに意味がわからないアニメこれが最初で最後でしょう。

それぐらい意味がわからないものですね。ただクオリティーと言う点に関して言えばものすごいアニメだと言う事は間違いありません。

監督は押井監督であり、徳間様が制作となっているのです。

この方は監督指揮を数多く勤められています。

特撮ファンの間では知っている人が多いかもしれません。ガメラ2レギオン襲来の内閣官房長官を演じた方です。

螺旋はDNA

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螺旋階段はDNAの比喩。

 

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骨は恐竜のもの。

つまり、この施設は生命の進化を象徴しているのかもしれない。

魚のくだりは進化の布石

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魚の形を見ていただければわかりますが、これはシーラカンスです。

海から陸へと上がっていってた我々の祖先に当たります。

つまり。これは進化を表していると言うこと。

 

生命の樹

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作中の中盤に出てくる生命の樹

恐竜のような大型爬虫類の骨。

先ほどのシーラカンスの魚影と何かしらの関係があるのかもしれない。

ノアの方舟に乗れずに朽ちていったことの暗示かもしれません。

 

鳥と魚

登場する意味深げなモチーフは聖書におけるシンボルの暗喩で、例えば「魚」は「言葉」、「鳥」は「命」を意味するなどが挙げられるという考察もある。

原画担当だった当時若手の貞本義行曰く、この時の押井は聖書のシンボル事典を横に置いて作業していたという。全体のモチーフは、押井が影響を受けたアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』に酷似している

 

互いの関係

ノアは互いを保存した。

だとするならば、この2人の少年と少女はその互い?

 

つまり生物?として、種の保存を行おうとしていた?しかし、押井監督の考えを聞くに、そもそも彼女はノアの末裔であるように書かれている。ノアは人間の互いを保存していたのだろうか?あるいは必要なかったのか。

押井監督の解説

大元のイメージは、押井が子供の頃に母親から聞いた「女の人は生まれた時からお腹にたまごを持って生まれてくる」という話から作られている。たまごとは比喩ではなく、卵子のことである。

本作を、主人公に感情移入して、ストーリーを追っていく見方に対するアンチテーゼであったかもしれないと語っており、物語よりもアニメーションの表現を楽しむ姿勢を投げかけようとしたところがあり、退屈で眠くなるようなギリギリのところで、緊張感を持続させる小刻みの感動を与え続けたいと語っている。

 

たまごは夢みたいなもので、どこにもないものをお腹に抱えて生きており、一番大切なものと思って生きているが、それが打ち砕かれることなしに本当の現実に出会うことはなく、出発はありえないといった意図を含んでおり、ラストに泡がたまごに変わったのは、救いや希望を托しているからであるという。

 

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水や魚は様々なモチーフに影響された結果で、日々の個人的な妄想などと混ざり合って表現されたと解説している。

 

あなたはだあれ?

あなたはだあれ?

誰だろうな。どこで生まれ、どこへ行くのかもわからない。この物語は少女の夢かそれとも現実か。それすらもわからない。

 

どこで生まれ

 

どこへ行くのかも忘れてしまった。

 

鳥なんて初めからいなかったのかもしれん。

 

 

40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%258E%25E3%2582%25A2%25E3%2581%25AE%25E6%2596%25B9%25E8%2588%259F

 

ノアが放った鳥は帰ってくることはなかった。長い年月を経て、誰も覚えていない存在となった。

きっと、すでに死んでいる。それでも人々の記憶の中に生きている。

その残留記憶だけがあるだけかもしれない。

卵は割ってみなければわからないよ

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確かにその通りだ。

そして、物語の中で少女が抱えていた卵は破られてしまう。割られた卵の中は空っぽだった。しかし、本当は何かが入っていたかもしれない。

この中は少女?自分の殻を破られ、現実と向き合わざる得なくなったのかもしれない。

少女が谷へ落ち行く過程で彼女は水面に映る成長した自分を見る。

つまり、殻を破ったことによって成長できたことの比喩表現なのだろう。

あるいは、この姿が少女の本当の姿なのかもしれない。

この彼女の描写には、やけに水面や水が出てくる。それが何かしらの意図があるのかもしれないし、ないのかもしれない。

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これは同監督の攻殻機動隊ghost  in the shellにも同様のシーンが出てくる。全身義体草薙素子がスキューバダイビングするシーンだが、この時の草薙素子は水面から顔を出した時、もしかしたら別の自分に生まれ変わるんじゃなきかと感じているようだ。だとすれば、この少女の願望は生まれ変わりか。自分と同じぐらい大事にしていた卵を失った彼女は死んでもいい。生まれ変わりたいと願ったのかもしれない。

 

また、鏡というのは本当の自分を映し出すとも言う。ドラクエで言えばラーの鏡だが。

だとするならば、少女の本当の姿はあの美しい女性なのだろうか。そして泡からいくつもの卵が生まれる。

私はこれをみて、泡から生まれたアフロディーテを思い浮かべた。彼女はもしかする人間ではなく、天使、あるいは神様なのかもしれない。

機械仕掛けの太陽

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バックベアード様みたいな太陽。

その中心部には少女が鎮座している。

時計仕掛け。だとするならば本当の太陽はどこに?生命の源でもある光がひどく制限されてしまうようにも思うが、この世界では、洪水で多くの生物は絶滅し、死に絶えているのかもしれない。ノアの方舟にならなかったのだから。

権利関係が不明に

海外での権利は、徳間書店が無断で売り飛ばしており、それをロジャー・コーマンが買っている。押井や天野はまったく知らされておらず、今では転売が繰り返されて権利者不明であるという。

 

この作品は徳間書店尾形英夫著作権に関して疎かったことから、押井に知らされること無く米国の映画監督・プロデューサーのロジャー・コーマンへ権利を売却され、更に転売を重ねられたことから、権利の所在が不明となっておりその為、海外での公開・ビデオソフトの発売はできない状態にある。

国内でも、無断上映や無断でTV局の放映に売られたこともあり、その何れにも著作権料が支払われていなかった。

 

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