第一次世界大戦とはどのような戦争であったのか
ダメですね。当時の人々のことを思うと涙が出ます。
見るに耐えなくて動画がなかなか見れませんでしたが、研究のためにyoutube上にあるすべてのシェルショックの動画を見ました。人間がここまで非人道的な行いをしたという事実がとても恐ろしく、恐怖しました。
世界大戦は二度行われたわけでありますが、特に第一次世界大戦は人間の心理状態が壊れる要員の多い対戦であったと思います。
なぜ戦うのかもわからないただひたすらに人が死んでいく地獄のような戦争です。いや、地獄よりも酷いかもしれない。人類史上最も悲惨な戦争がWW1です。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦では、ルールなど無いただの殺戮への化してしまいました。
当時では今までのように歩兵や騎兵で戦うような近代的な戦争が普通だったのです。
当時戦争に行った人々もそのような戦争になると思っていたはずです。
自分の知らないところで英雄が相手を打ち取り、何もせずに終わるだろうと。
しかし、第一次ではそのような戦争ではなかった。
(35分ぐらいでシェルショックの説明が少しだけあります。動画では砲弾神経症と言っていますが、シェルショックと同じ意味です。)
飛行機、機関銃、毒ガス、戦車。
現代と変わらない兵器が生まれました。
武器は現代。戦術は中世のままだったのです。
おそらく、兵士たちは意味もわからず死んで行ったことでしょう。
戦争に行く前は笑顔だった兵士たち。
当時の人々はクリスマスまでには戦争が終わるだろうと考えていました。
しかし、結果は史上最悪の戦争へと発展してしまったのです。
毒ガスで肌は糜爛(ただれること)し、視力を失いもがき苦しむ。
戦車や機関銃で腕や足が飛ぶ。
そして塹壕戦による戦争の長期化で精神は壊れ、塹壕足となり足が腐り落ちる。
そんな地獄よりも酷い世界に完全に精神は壊れ、全てを奪われる。
第一次世界大戦では、どこも国際法などは守らず、毒ガスなどの非人道的な化学兵器が使われました。
あまりに酷いので、化学兵器の使用は禁止されました。
第一次世界大戦では主戦場はヨーロッパであり、日本は主要な戦線ではなかったので、歴史の教科書等を見ても軽く触れられているだけです。
くだらない年号覚えや間違い探しをするのではなく、その悲惨な戦争がどのように起こり、未来にどのような影響を与えたのかを考える教育をしてほしいものです。
私は日本の学校が大嫌いなので、愚痴が止まりませんね。
すみません。
WW1の特徴的な兵器
ガスマスク
近代的な装備に騎馬という異様な光景は時代の交差点を思わせます。
機関銃
悪魔のような爆音が鳴り響いていたと言われています。
戦車
塹壕を攻略するために作られた兵器です。
飛行機
大戦により大きく発展した兵器です。ライト兄弟が始めて飛行機を発明したから10数年で驚異的な発展を遂げました。
塹壕は昔からありますが、第一次世界大戦では戦争が長期化し多くの兵士が壊れていきました。
毒ガス
視力を奪うもの。肌がただれるものが拡散されました。あまりに非人道的な兵器であったために使用を禁止されます。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。
アレキサンダー や、シーザー や、ナポレオン が兵士達と共に
危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。
そんなことはもう、なくなった。
これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、
書記官達に取り囲まれて座る。
一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、
息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、
一般市民全体を殺すことになるだろう。
やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、
一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを
生み出すことになる。
人類ははじめて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが人類の栄光と苦労のすべてが最後の到達した運命である」ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(英語: Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, KG, OM, CH, TD, PC, DL, FRS, Hon. RA、1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家、軍人、作家。
wiki-ウィンストン・チャーチル-より引用
関連:ウィンストン・チャーチルの名言・格言
シェルショック
塹壕戦
塹壕戦は悲惨です。狭い穴の中で延々と続く戦争の中を生き続けるのです。
塹壕足になり、爆音で耳は聞こえなくなり、毒ガスや大砲が飛んでくる。そんな地獄のような場所から逃げることもできずに長期間晒された人間は当然壊れます。
その結果がシェルショックです。
極度の緊張状態に陥り体全身が震えうまく歩くことすらままなりません。
挙動不審になり、常に恐怖に怯えます。
シェルショック
砲弾神経症(シェルショックともいう)とは、戦闘ストレス反応である。この研究は、第一次世界大戦における塹壕戦の経験を踏まえ、戦後米国と英国から始まった。
友人たちの手足が一瞬にして吹き千切れるのを見、捕虜になり閉じ込められるなどして孤立無援状態におかれたり、一瞬にして吹き飛ばされ殺されるという恐怖から気を緩める暇もないという状況が、驚くべき現象を生み出したのである。兵士たちはヒステリー患者と同じ行動をし始めた。身体的には金縛りで動けなくなる、震えが止まらない等が現れ、精神的には金切り声ですすり泣く者や、逆に感情が麻痺し、無言、無反応になる等が現れたり、健忘が激しくなる者もいた。
軍の伝統的な立場のものは、この現象を臆病者であるからだと結論し、処罰と脅迫による電気ショック治療を提唱した。進歩的なものは、これを士気の高い兵士にも起こりうるれっきとした精神障害であると人道的治療を進めた。その後の調査の過程で、これらの一部の状態に対してASDやPTSDという名称がつけられたのである。
シェルショックの症状
第一次世界大戦において兵士の戦闘ストレス反応を研究した軍医は爆音を伴う塹壕に対する砲撃によってこのような障害が生じると考え、このような症状をシェル・ショック (shell shock) と呼んだ。しかし後に砲撃に関わらず長期間に渡る戦闘によっても反応が見られることから戦争神経症 (war neurosis) へと呼称は変化する。この兵士達の観察を基にして、ジークムント・フロイトは反復強迫的な外傷性悪夢について研究した。
第二次世界大戦にかけて呼称はさらに戦闘疲労 (combat fatigue) とも呼ばれ、戦闘の期間があまりに長期間にわたると性格や能力に関わらず全ての兵士がこのような反応を示すことが明らかにされた。
朝鮮戦争では従来のような戦闘ストレス反応による損耗は減少し、精神病的損害 (psychiatric casualities) という名称で戦闘ストレス反応に関連する症状を示す兵士が評価されるのが通例となった。しかし研究の焦点は戦闘行動によって示す古典的な戦闘ストレス反応から新しく後遺症に移ることになる。
1980年代にかけてベトナム戦争からの帰還兵が社会復帰後に深刻な心理的障害を示すことがアメリカ精神医学会で研究されるようになり、これは心的外傷後ストレス障害 (post traumatic stress disorder, PTSD) と命名された。
PTSD(シェルショック)の治療
仮面作り
戦争によりPTSDになった人々に一番効果があったのが仮面作りだそうです。
仮面を作りうちなる自分を写し出し、鍵をかける。こうすることにより患者の塞いでいたトラウマが解放されるのです。
人間は何かを吐き出すことでストレスが発散されます。それは笑いであっても、汗であっても、涙であっても同じです。
PTSDの人は喋りません。フラッシュバック。恐ろしい記憶が蘇り恐ろしい思いをしてしまうからです。
身体的なコミュニケーション
カウンセリングも勿論効果的ですが、身体的なコミュニケーションにより人間は繋がれます。
震える手をそっと握り、苦しみを分かち合うことでトラウマを克服する手助けをします。
恐怖で人は死ぬ
恐怖で脳が溶かされ、萎縮して行きます。本当に恐ろしいことです。
これ程までに悲惨な戦争を経験した人がいたことを忘れてはいけないでしょう。
今の世界ではボタン一つで何万人もの人が死にます。
恐怖が恐怖を生みだし、人類を滅亡へと導くのです。今の平和は何千万人もの犠牲の上で成り立っていることを理解しなければなりませんね。