歴史を面白く学ぶためのアドバイス
歴史を学ぶ際に、意識して欲しいことは何かしらの行動には何かしらの意味があるということです。
行動原理や理由がわかれば全ての行動や結果の意味がわかりますし、予想もできるようになります。
ロシアに住んでいる人たちの気持ちを考えてみましょう。
あんなクソ寒くて雪ばかりの土地に住みたい人間なんてほぼいません。
暖かく、豊かな土地を求めるのは自然な通り。また、港に行けば凍ってしまった何もできない。物資も来ない、輸出もできない、別の場所に移動することもできない。
しかも、クソ寒い冬季ですからね。そりゃ死に物狂いで不凍港や温暖な土地が欲しくなるわけですよ。
ロシアを擬人化してみるとわかりやすいかもしれませんね。
ロシア「寒いのはもう嫌だ!不凍港が欲しい!」
基本この欲望を現実にさせるためにロシアは行動するはずなので、この辺りを意識して歴史を勉強するととてもわかりやすく、面白く学習できると思います。
ロシアの歴史は不凍湖の獲得の歴史
ロシアの近辺にある不凍港は以下の通り
- ムルマンスク(北極海 バレンツ海)
- ペトロパブロフスク・カムチャツキー(太平洋 ベーリング海)
- ナホトカ・ボストチヌイ港(日本海)
- セヴァストポリ(黒海)
- ノヴォロシースク(黒海)
- ウラジオストク(日本海)
- カリーニングラード(バルト海)
が不凍港となっています。
現在のロシア領
ロシアの歴史を見ていくと、「不凍港」というキーワードがとても重要だということがわかります。そもそも不凍港とはなんなのでしょうか?
不凍港とは?
不凍港とは、冬季においても海面等が凍らない港、または砕氷船を必要としない港のことです。
高緯度にある港湾は厳冬期にしばしば凍結するが、ノルウェーのフィヨルド地域にみられる諸港やロシアのムルマンスク(・ポリャールヌイ)のように、高緯度であっても暖流の影響で不凍港となる場合があります。
不凍港はその名の通り、冬季でも凍らないので、軍事的・経済的な価値が大きいのです。
戦争やるって時に港が凍っていたら動けませんからね。砕氷船使うにしても、そんなにコストかけてたら戦争に負けてしまいますし、経済的な負担がかなり大きいわけです。
ロシアは、北の海岸線のほとんどすべてが北極海に面しており、それ以外の大洋への進出ルートとしては、
に限定されます。
このうち、ペトロパブロフスク・カムチャツキーを除く、ベーリング海とオホーツク海沿岸の諸港はおおむね冬季に凍結し、また、冬季以外でもしばしば暴風雨にさらされるため、安定した航路とはなりません。
また、千島列島は凍結しないものの夏季は世界有数の濃霧地帯であることから港湾利用については必ずしも好適といえない状況です。
そして、バルト海沿岸の諸港はユトランド半島とスカンジナビア半島の間のカテガット海峡が、黒海沿岸についてはボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の狭隘部が敵対勢力による海上封鎖に対して脆弱であり、それゆえ、とくに帝国主義時代にあっては、列強ひしめく西方の黒海・バルト海以上に東方の日本海ルートが注目されたのです。
このように、ロシアは港で苦しんでいるのです。
それでは、ロシアの歴史をサクッと紹介
ロシアの始まり
ロシアの始まりをまず見てみましょう。
ロシアの歴史は、3世紀から8世紀までの間にヨーロッパで認識され始めた東スラヴ人の歴史に始まります。
9世紀、ヴァリャーグの戦士の精鋭およびその子孫により設立および統治されて、キエフ大公国の中世国家が誕生しました。
988年、東ローマ帝国から正教会を導入し、次の千年紀のロシア文化を特徴付ける東ローマ帝国およびスラブ人の文化の統合が始まりました。
モンゴルによる制圧と支配
キエフ大公国は最終的には多くの国に分裂し、キエフ大公国の領土の大部分はモンゴルに制圧され、遊牧国家ジョチ・ウルスの属国になります。
ジョチ・ウルスはチンギス・カンの長男ジョチの後裔が支配し興亡した遊牧政権(ウルス)であり、一般にキプチャク・ハン国の名で知られる国とほぼ同じものです。
モスクワ大帝国の誕生
モスクワ大公国は次第に周辺のロシアの公国を再統合し、ジョチ・ウルスからの独立を獲得し、キエフ大公国の文化的および政治的な遺産を支配するようになった。
18世紀までにモスクワ大公国は、王朝による征服・併合、シェレホフ提督による探検を通じ、史上第3位の大帝国であるロシア帝国となり、版図がポーランドから北米のアラスカまで広がりました。
ロシア帝国の領土
ロシアの海洋進出
ロシアは18世紀以降海洋進出に乗り出しましたが、国土の大部分が高緯度に位置し、黒海・日本海沿岸やムルマンスク地区、カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)等を除き、冬季には多くの港湾が結氷してしまいます。
そのため、政治経済上ないし軍事戦略上、不凍港の獲得が国家的な宿願の一つとなっており、歴史的には幾度となく南下政策を推進してきた歴史があります。
地中海への進出と妨害
念願の夢である不凍湖の獲得を求めロシアは地中海を巡り他国と頻繁に争う事になります。
黒海沿岸についてはボスポラス海峡・ダーダネルス海峡があり、この狭隘部が敵対勢力による海上封鎖に対して脆弱であるため、安定した貿易が供給ができないんですけどね。
1870年代の地中海周辺の地図になりますが、このように、黒海の北部を得ても、海峡で閉鎖されてしまうと、何もできなくなってしまう可能性が高いのです。この時代だとオスマントルコがボスポラス海峡を抑えているので、ロシア的には美味しくない状況なわけです。
そこもロシアにとっては悩みどころだったわけです。
時代が少し経って植民地主義の時代に変わります。そうなると今度はドイツとの対立関係が深まってくるわけです。
ドイツは3B政策という戦略を打ち立てます。
3B政策は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世によって主導された、ベルリン(Berlin)・ビザンティウム(Byzantium、イスタンブールの旧名)・バグダード(Baghdad)を鉄道で結ぶというドイツ帝国の長期戦略です。
ちなみに、
3A政策(アメリカ、アラスカ、アジア)
と合わせて3ABCと呼ぶものの一部であり、政策と直接に関連するよりは、当時の鉄道敷設を理解する言葉の一部であったと考えられています。
鉄道建設と、それに付属する沿線の港湾整備や殖産興業を通じて近東に資本を投下し、自国の経済圏に組み込むことを目的とした政策であったが、イギリスの3C政策と対立することになります。
この3B政策の地図を見るとわかりやすいのですが、もろにロシアの海洋進出とぶつかるのです。
黒海を遮るような形でドイツの3B政策が行われているのがわかりますね。当然ロシアは頻発します。
ちなみにイギリスも植民地であるインドと本国を結ぶの道が欲しかったため、バグダードの支配を目論んでいましたから、ドイツとの対立が深まることとなります。
ん?なんだかこの構図何かに似ているような…
そう第一次世界大戦の枢軸国と連合国の構図ですね。
このロシアの不凍港への欲望はこのように世界大戦の一因にもなってくるわけです。
太平洋への進出と妨害
バルト海沿岸の諸港はユトランド半島とスカンジナビア半島の間のカテガット海峡
この狭隘部が敵対勢力による海上封鎖に対して脆弱であるため、安定した貿易が供給ができません。
そのため、日本海側に活路を見出しているわけですが、ロシアが太平洋に出ようと思うとぶつかる国があります。
それが日本ですね。
ロシアにはナホトカ・ボストチヌイ港(日本海)という不凍港が日本海にありますが、それでも日本に侵攻するのには訳があるのです。
日本海は日本があるために、日本海となっているのです。日本がない場合は太平洋に飲み込まれ、消失してしまいます。
つまり、ロシアとしては不凍港があるものの、日本が障壁となっているために太平洋に進出できないのです。
ですから、太平洋側に進出するためには、日本を侵略する必要性があったわけです。
今でもロシアと日本の間には北方領土問題と呼ばれる領土問題があり、なぜあれだけ広大な領土を持つロシアがあんな小さな(デカイですけどね)にこだわるのかというと、太平洋へと通じる航路を失いたくないという考えがあるのです。
ただ、千島列島は凍結しないものの夏季は世界有数の濃霧地帯であるため、港湾利用については好適といえないのです。
だから、ロシアは北海道が欲しいわけですよ。戦後の混乱期に北海道がロシアに侵略されましたが、なんとか日本が守り切ったという歴史がありますから、いかに日本という国の立地が重要であったかということがわかりますね。
今のロシア
今前もロシアのほとんどの港は北極海にあることがよくわかりますね。
北極航路は1ヶ月かけて中国や日本などの極東諸国に行けますが、冬季は凍ってしまうので、使えません。となると、バルト海や地中海からとなるわけですね。
バルト海はキツイですよね。EUで一体となっていますし、バルト海の制海権を確保するためにはドイツや北欧諸国、バルト三国と戦わなければならないわけです。
だからこそ、ロシアは黒海、地中海に力を入れているのです。ロシアはクリミア半島を強引に編入しましたし、トルコに対してかなり接近しているのです。
それらも全て不凍港を獲得したいという軍事的、経済的な考えがあるからなのです。
それは今でも変わっていないということですね。歴史がわかれば今がわかる!
少しだけロシアに対する興味が出てきたのではないでしょうか?