B! ゴロビシャ ネメシスの使い魔

【必見】発言することは嫌われることであり好かれること

何を言ってもやっても必ず嫌われる

世の中には一人一人違った価値観を持っていて、当然価値観の違う人がいる。

だから、どれだけ当たり障りのしない発言をしようが必ず批判する人もいるし、賛同する人もいる。

何をしようが、何を言いまいが必ず嫌われるのである。

綺麗事を抜かすなだとか、売名行為だとか。

 よくネットで見る光景である。

 

何をやろうとしても、

あなたは間違っていると批判する者がいる。

その批判が正しいと思わせる

多くの困難がたちはだかる。

計画を描き、最後まで実行するには、

勇気がいる。

 

- エマーソン -

(米国の思想家、哲学者、作家、詩人 / 1803~1882)

 

私は嫌われることを恐れすぎていたように思う。

確かに、嫌われるのは嫌だし、誰だって良い気はしないだろう。それでも、自分の意見をはっきりと言うべきであると今は思う。

それを批判されても自分に非がないのであれば突き抜ければ良い。

(リアルでは暴力行為等を受ける可能性があるので、逃げなければならない時もある)

 

何かを批判されて狼狽するのは、何かしらの負い目ややましい気持ちがあるからではないだろうか。

自分の良心が一番よく知っているだろう。胸に手を当てて彼の声を聴くといい。

自分の頭でぐちゃりと考えて結論を出しているのだから、それで何が悪いのか。

当然誹謗中傷は以ての外であるが。

 

指摘されたものが正しければ、素直に受け入れれば良いだけであり、納得のいかない批判であれば、私はそうは思いませんと言えば良い。

確かに、会社や学校であれば社会的な目を気にしなければならない場合もあるかもしれない。しかし、ここは私のブログ。私だけのブログなのだから、私の意見をはっきりと言える場所なのである。

 

何か信じるものがあるのに、

それに従って生きない人間は

信用できない。

 

- ガンジー -

 

ネットはむしろ均一的

Twitterや 各種SNSではフォローフォロワーという概念に縛られすぎている。

キラキラした部分しか出さない。当たり障りのないことしか言わない。

そうして均一化されていくのが今のネットだ。

ネットによって多様性は広がると考えていたが、どうもそれは違うらしい。

ある種の言論統制が見えない力によって働いている。

だからこそ、個人が一方的に情報を発信できるブログという媒体に私は惹かれ毎日くだらぬことを書いているわけである。

 

全て同じ色に染まっていく

(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第六話)

電脳化により個人個人の情報が並列化することにより、個が消滅し同じ色に染まっていくこと。現代の我々を風刺している。

勇気を失ってしまった人

毎日たんたんと仕事をこなし生きているだけになります。

何も挑戦せず、そのまま枯れていく。

そうなるのがとても怖い。

多分もうなっているかもしれません。

私がブログを書くことも絵を描くことも何かを作ることも勉強することも考えることも辞めてしまったらそれは死ぬってことでしょうね。

 

それでも嫌われるのは怖いよ 

怖くない人はいないんじゃないかな。私は怖いよ。臆病者だからね。

それでも、ブログを書くのであれば最低限嫌われる覚悟はしないといけないと思う。

発言する、文字を書くということはそういうことでしょ。

批判を受けても勇気を失くさない人しか書けないと思う。

それはすごいこと。 

今ではこのブログを見ている人が少ないから、私はあまり批判を受けてはいないが、多くの人の目に止まるようになれば袋叩きにあうことでしょう。

その未来があるかはわかりませんがねw

それでも私は書くことはやめない。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

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