人は感動を閉じ込め、不満や怒りを吐き出したい
人は感動よりも不満や怒りといったものを文章に書きだすんですよね。
それはストレス発散と言う側面もあるのかもしれません。
自分が文章を1年以上書き続けていてはっきりとしたことは、憎しみら怒りといったものはとにかく文章が進みます。筆が乗るのです。私の場合、音声入力で入れてるので喋ってるんですけどね。
つまり文章を書きたいとなったときには、何かしらのことに対して憎しみや怒りを覚えれは、スラスラと文章が書けるということです。
良いものを具体的に説明するのは難しい
人って興奮したときには、「すごい」とか「やばい」とかしか言えないんです。
不満があるときは
こういうことがダメで…
私はこういう点が無理で…
ここが気に入らなくて…
と言う具体的な説明が出てくるんですよね。
これはステキ!いいね!と思うものを具体的に説明するのはなかなか難しいので。
難しいですよね。これはすごいんだ!と思っていても、なぜ、凄いんだろうと考えたときに、結局、自分の感情が感性がそれを良いと感じているだけなのです。
価値観によって受け取り方が違いまし、自分はここが良いと直感的に感じたものは誰かにとっては良いものだとは思えないのかもしれない。そもそも、良いものを具体的に文章に落とし込んでいく作業ってなかなか難しいんですよね。
だから、他にも良いと思っている人たちも感情の文章化が出来ないので、共感を得にくいのです。
よく、悪口を言わないと友達になれないという話を聞きますが、それは憎しみや怒りの感情は言語化しやすく、共感されやすいからです。
「すごい」、「やばい」、「神」の3つの単語しか使えないSNSとかあったら面白そうですよね。
YouTuberの三大ジャンルの「物申す系」
YouTubeには3大ジャンルと言うものがあります。
それは
- やってみた系
- ゲーム実況系
- 物申す系
この3つです。
この物申す系と言うのは典型的な憎しみや怒りといったものを表現しているものになります。こういったものは先ほども述べたように言語化しやすく、共感されやすいので再生数も増えるのです。
これはなかなか面白いことに気がついたかもしれません。
何かを作りたい!となったときには何かしらに対する怒りと言うものが必要なのかもしれません。
例えばこれとか
呪い兄貴の怨念やばすぎる…
死後に強まる念みたいですね。
インターネットが罵詈雑言で溢れる理由
少し前に流行った「ネトウヨ」なんてものもその典型ですよね。嫌いなものを作り出して、怒りの感情を吐き出させることによって人々の欲求を満たしていたわけですから。
そう考えるとなかなか怖い現象かもしれません。良い評価は「すごい」「やばい」など、そんな短い単語で表されるのに対して不満はダラダラと長く長文になりがちです。
インターネットにおいては、Googleの検索エンジン上短文よりも将軍の方が求められていますから、インターネットの性質を考えると不満や怒りと言うものが上位に来て殺伐とした環境になるのは仕方ないのかもしれませんね。
YouTubeでも3大ジャンルとしてゲーム実況、やってみた、そして物申すと言うものがあります。この「物申す」と言うのも明らかにこれ怒りの感情を出しているものですからね。
インターネットが殺伐とした状況になるのは必然なのかもしれません。